有限会社岡野自動車商会

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第1章

岡野家のルーツ

(1853年~ 岡野兼松とその娘・はる)

嘉永6年(1853年)7月2日

創業者・岡野兼松が誕生

現在の有限会社岡野自動車商会(以後岡野自動車商会と省略)のもととなった、カネカ岡野商店。その創業者である岡野兼松(現在の岡野自動車商会代表取締役・岡野功の曾祖父)が誕生したのは、幕末の嘉永6年(1853年)7月2日のことである。
伊賀国阿山郡府中村大字坂下(現在の伊賀市北部)に、岡野助右衛門の次男として生まれ、幼名を武左衛門といった。
明治21年(1888年)

伊賀から独立し宇治山田へ

本家がどのような家業を営んでいたのかは不明だが、当時、本家は長男が継ぐもの。兼松は35歳になる明治21年(1888年)に、伊賀の本家から分家し、宇治山田市大字船江町(現在の伊勢市船江)に居を構えた。
あとで述べる明治40年(1907年)まで、どうやって生計を立てていたのかは、記録が残っていない。
明治34年(1901年)4月25日

兼松の娘・はる誕生

分家した兼松は、やがて結婚し子をもうけた。
ただし、1人目の妻との間には子どもはなかったようで、この妻は31歳で死去したことが墓石に刻まれている。
ただひとりの子どもは、兼松48歳になる明治34年(1901年)4月25日に生まれ、「はる」と名づけられた。はるは、のちに兼松の商売の後継者となる。
はるの産みの母は「なつ」といい、東京浅草仲見世の女性とされているが、兼松の2人目の妻として、はるを育てたのは、この女性ではない。はるが生まれる約1カ月前の明治34年(1901年)3月23日に、兼松と結婚した女性(御薗村上條 中村孫之の長女)で、驚くべきことにこの女性も「なつ」という名だった。
このできごとの時系列から考えると、兼松は何らかの事情から、浅草のなつに頼んで、子を産んでもらったのかもしれない。ちなみに功資は、自分にとって実の祖母にあたるこの女性を、大人になってから一度だけ訪ねた。なつが住む高井戸の家は、たいへん立派であったと語っている。
育ての母のなつは、墓石によると、大正9年(1920年)12月21日に死亡している(享年56歳)。
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